コンテンツの楽しみ方を忘れてしまった

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現在、私は諸事情でわりと貧困で、美術や美しいと思うもの、みたいコンテンツにお金を払う余裕がない。

今まではぼんやりとそんな時期もあるだろうと思っていたが、それが続くとじわじわとつらくなってきた。単純に料金だけでいえば、本も無理すれば買えるし、美術館は約1年前に取得した精神障害者保健福祉手帳で安くなるかもしくは免除だし、映画館も安く行けるし、いま登録している映像配信サービスで映画やアニメをみることだってできると思う。でもなぜか「できない」 のだ。

もしもここに自由に使っていいお金があったらどうなるだろうとたまに考えるが、食費やその他の生活費などに使い、そして使い切ったあとに「みたいコンテンツに払えるだけのお金はあったのに」と後悔するんだろうなと想像がつく。長い間、どうせ楽しむことはできないからとあきらめて遮断しているうちに、自分にとって支払うべきコンテンツへの支払い方、楽しみ方を忘れてしまった気がする。

ちなみに図書館は大好きでよく行って本を借りているし、リクエストすれば読みたい本も入れてくれるかもしれない。でも私がしたいのは「書店で気になった本を取り敢えず購入して、読んだら手放す」という読み方なんだなと思う。きっといつかそんな生活ができる、と思っていることにも疲れたとき、果たしてどうなるんだろうか。