女性が女性と生きるということ

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好きな作品があった。きっとこの2人の女性は恋愛関係にはならずとも、最終回の時点ではこれからもともに生きていくような選択をするのだろうと思っていた。というより、してほしかった。だが、男性キャラクターの登場による結婚でエンドを迎えた。もちろん、もともと異性愛者であったり、そういう決まりであったり、いろいろな背景があるだろう。だが私は、女性たちが男性の登場によりけっきょく離ればなれになるその結末をみて、「またか」という無力感やかなしみに襲われた。

 

こういうことをはっきりと意識しだしたのは、パク・チャヌク監督の映画『お嬢さん』と、ヨン・サンホ監督の映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』を観てからだ。どちらも最終的には「これからは女性が女性とともに生きていく」というラストで、この2つの映画を観て、私は自分のなかに無意識のあきらめが根付いていたことに気がついた。それは「女性同士で手を取り合って生きる選択肢はありえない」というものだ。私が少ないながらに触れた国内の作品たちのほとんどのものは、女性には男性がセットであった。どんなに作中で仲がいい女性同士でも、最終的には異性愛の姿に落ち着いた。私は「女性同士で生きるなど夢物語」だとすら思わなかった。この映画たちを観終わってから感動して泣いたと同時に、そういうラストを少しも期待しなかった・考えなかった自分を恥じた。もちろん期待しなくなるに至るまでには、世間の目や一般論、異性愛至上主義、ミソジニー、女性の貧困などさまざまな事情があっただろう。

 

それから私はもっと女性同士がともに生きる物語がみたい、自分もそういう風に生きたいと思うようになった。そして、そういう実例を世界にひとつでも増やすために、ともに生きてくれるひととの関係を欲するようになった。これはもはや意地でもある。ちなみに女性が女性と生きるといっても、それは恋愛に限らないし2人とも限らない。例えば同人活動や趣味などで仲良くなった友人たちとシェアハウスをする、という形も私のなかでは同じ部類に入る。

 

現在はそんなことを考えながら、コンセプトやテーマを明確に表現した作品を描くことはできないなりに、色んな女性と女性の形を描けたらと思っている。今まで当たり前のように「女性と女性がともに生きるなどありえない」と刷り込まれてきたように、私は「女性同士で生きていく選択肢もある」ことを世界に少しでも「刷り込んで」いきたい。